ミニマリストとは必要最低限の持ち物でシンプル且つ快適に生活するライフスタイルのことです。
日本ではここ数年でかなりのブームになりました。
かくいう私も数年前にミニマリストとなり、今も続いています。
しかし、その中で挫折というか、いわゆるやりすぎミニマリストとなってしまい、後悔した経緯があります。
そこで、私はミニマリズムの再定義をし、現在はより快適にミニマルライフを送っています。
なので、今回はやりすぎミニマリストを抜け出した方法と、あなたに取って本当に大切なものについて紹介します。
ミニマリストの私の自己紹介
私は自閉スペクトラム症の阿須田と申します。
自閉スペクトラム症は人より物への興味や関心が強いため、物が多い環境にいると集中が乱されて疲れてしまいます。
なので必然的にミニマリストになったようなところもあります。
今回はそんな私が快適なミニマリズム、物との付き合い方を説明していきます。
ミニマリストの「やりすぎ」の具体例と、陥りやすい心理状態
所有物の極端な減少による生活の不便
断捨離を始めると、明らかに不要な物から捨てていくので確実に生活は快適になります。
捨て時に困っていたクローゼとの中身、不要な書類、いらない本に雑誌やポスター。
そこで調子に乗って物を捨てすぎると、捨てることが目的となってしまいます。
私もミニマリストなりたてのころ、服をすべてユニクロでそろえて他の服はみんな捨ててしまいました。かなり調子に乗ってましたねー
最初のうちは快適に感じてたんですが、やはりお気に入りの服のことを思い出して後悔しています。
今は完全ユニクロ主義は捨てました。
私はまだ良い方で、中には洗濯機や冷蔵庫を捨てた人もいるようで、まじで不便そうだなーと思います。
価値観の画一化、他者との比較による焦燥感
ミニマリストブームによって、今はミニマリストの情報発信がすごく多いです。私もその一人ですが。
しかし、そのミニマリストの投稿は表面的であり、やっぱり「捨てること」=「幸せ」のような誤った価値観に勘違いをされやすいように思います。
確かにマットレスと突っ張り棒と洗濯機しかないミニマリストしぶさんの部屋とかインパクトありましたし、カーテンのない部屋に暮らしている有名ミニマリストもいます。
こういったビジュアルや発信を見ていると、「自分って、もしかして物多すぎ!?」と誤った焦燥感を感じてしまいます。
そんな焦りはまがい物です。他人に必要な物はあなたに必要な物は違います。
例えば私は洗顔もボディソープでしてますが、肌に問題はないです。しかし妻がボディソープで洗顔したら数日でスキントラブルが起こるでしょう。私に不要な洗顔フォームも妻には必要です。
それからミニマリストインフルエンサーの生活スタイルや発信が本当にあなたを幸せにするという保証はないんです。
私も拗らせていたときは暇を見つけては捨てれるものを探してました。
そして、これはどうやったら捨てられるか考えては、物の量を気にしていました。
物を捨てることへ執着してしまい、断捨離が目的化してしまった悲惨な例です。
シンプルライフ至上主義による柔軟性の欠如
シンプルな暮らしはとても美しいです。幾何学的な部屋の風景は誰をも魅了します。いつしかそれが目指すべきものになって視野が狭まってませんか。
いつしか生活に必要な最小限の物だけがあるべきもので、それ以外を無駄と思っていませんか。
人間がパンと水だけで生きているわけでないように、生活だけがあなたではないと思います。
私もミニマリストを始めたときはシンプルが一番だと、皿のガラも許せませんでした。しかし、今は食事を楽しむという価値観があるので、皿はシンプルというよりは自分の好きなガラや色の食器を使ったりしています。
SNSでの発信による承認欲求、過剰なアピール
ミニマリストって画面的にはかなりインパクトあります。
なので、SNSで発信する方がかなり多いです。すると、いつの間にか、物への欲求が承認欲求へと変わっていきます。
そして、この承認欲求を満たそうと更に過激な断捨離をし、アピールしてしまいます。
ここまで来ると行き着く先はミニマリストというお仕事になるか、疲れてミニマリストを卒業してしまうかですね。
でもミニマリストって逆です。他人目線の断捨離ではなく、自分を見つめ直すことです。自分に本当に必要な物がわからないと捨てられないのです。
周囲との価値観のズレによる孤立感
いくらミニマリストがブームでも圧倒的少数民族です。
そして、やりすぎると一般的な人の買い物の基準や生活スタイルが理解できなくなります。
いつの間にか、無駄を省きすぎたことで、自分のアイデンティティが断捨離だけになり、誰とも価値観を共有できない孤立したミニマリストになってしまいます。
なぜ「やりすぎ」ると不幸になるのか?
モノを手放すことで得られる「自由」と、失う「価値」のバランス
不要な物を手放すことは確かに大切です。しかし、手放すものの価値を価値を考えない事が多いです。いわゆる勢いで捨てることですね。
例えばランニングが好きな人が、ランニングシューズを捨てて私服のスニーカーで走ったり、逆に私服のスニーカーを捨ててランニングシューズに私服で出かけたりするのは価値観を度外視した断捨離です。
きっとランニングの趣味はつまらないものになってしまします。
物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも重要
物の生活する上での最適量は確かにあるしわかりやすいです。しかし精神的な豊かさを最適化するものの量ってどうでしょうか?
この難しい問題に答えずに断捨離ばかりが注目されてしまい、断捨離が精神的な豊かさを失ってしまったのだと思います。
幸せの基準を「モノの量」に求めることの限界
そもそも、「物がたくさんあれば幸せ」という古い価値観と「物が少なくなれば幸せ」は同じ次元の価値観です。
ミニマリズムは単に物を捨てることではなく、減らすことで最適化を図る手段です。
最適とは生活するあなたの価値観です。
本当に大切なものを見つけるためのヒント
自分にとっての「豊かさ」の定義を見直す
豊かさってなんでしょうか。その答えは人それぞれ違います。
私の場合は食事はとても気を使っているので、普通の家には置かないような調理器具があります。
真空低温調理器やバーミキュラ、包丁はグレステンを使うほどです。
料理を作ることも、食べることも私にとってはとても大切だからです。
パレオダイエットしてるくらいですからね。
更に、観葉植物も置いています。自然と調和した生活を心がけているからです。
子どものガラクタのようなおもちゃも気にしません。子どもには自分で捨てる基準を学んでほしいからです。
物を手放す理由を明確にする
明らかに不要な物を断捨離したあとの物の手放し方は本来とても難しいです。
勢いで捨てたりすると必ず後悔します。
かといって、保留ばかりしていたら何も先には進みません。
断捨離は1度自分の価値観と向き合う必要があります。
例えば筋トレが趣味の人が「ジムだけでトレーニングすればいいや」とダンベルやらのトレーニング器具を捨てるのは後悔する可能性が高いです。
そういった場合は慎重に。1度段ボールの中にでもしまっておいて半年以上使わなかったら手放すなどの方法も必要です。
物質的な価値観に囚われず、精神的な豊かさを追求する
私は特に役に立たないどころか、手間がかかる物を持っています。
観葉植物です。
観葉植物は、私の心に暖かさと充足感を与えてくれます。
そして、生活の中に美意識を与えてくれます。
物質的な価値観では測れないものが私にとって観葉植物です。
周囲との比較ではなく、自分自身の価値観を大切にする
先の通り、私は観葉植物が精神的な豊かさを与えてくれますが、それは誰にでも当てはまるとは限りません。
もしかしたらそれは家族写真かもしれないし、鉱石かも知れないしガンプラかも知れません。
大切なのは他人にどう思われるかではなく、自分の心に問うことです。
シンプルライフは手段であり、目的ではないことを理解する
シンプルライフがミニマリストの目的になっていますが、そこは違います。
それでは懲役刑と同じです。
ミニマリストの目的は、シンプルにすることで自分自身の価値観や美意識を大切に生活することです。
断捨離先行型のミニマリストはそのことを忘れています。
自分が大切にしているもの、美しいと持っているものと向き合う時間、味わう時間を増やすのがシンプルライフの本来の目的です。
つまり、それはあなたの生きる目的と一致するんです。
柔軟性を持つこと、変化を恐れないこと
時として、価値観は変わります。
私も子どもが生まれて、価値観は大きく変わりました。
お陰でミニマリストとして、柔軟性と心の余白が生まれた気がします。
息子に感謝です。
大切なのは変化に怯えないことです。
子どもが生まれて、その必要な物の量に驚き「あーミニマリズムの崩壊だー」と心で嘆いていましたが、今は変化を受け入れ、自分の価値観に合ったミニマリストとして生まれ変わりました。
大切なのは自分にとって何がいちばん大切なのか、いつでも向き合えることです。
まとめ:自分らしいミニマリズムを
ミニマリズムは、物を減らすというカルトな考え方ではないのです。
物を減らすことで、自分にとって大切な物と向き合う時間を増やすのが目的なのです。
だから、物の量にこだわりすぎず、自分にとって何が幸せな生活スタイルなのか、自分自身の基準で決めなければなりません。
小難しい話が続きましたが、この記事が皆さんのシンプルライフの一助になると幸いです。
それではまた、次の記事で。
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